「会津絵ろうそく」のお話
こないだの萌えキャラまつり会場でかなり注目された商品が「絵ろうそく」でした。
会津の伝統工芸じゃな。
山の資源として内陸の領主が奨励した漆の殖産事業の一つじゃ。
会津の場合は蘆名盛信公が熱心じゃったという。
さすがご先祖さま…お詳しいですね。
甲斐や信濃も内陸国で山の資源が豊富じゃったからの。
して、会津では蒲生氏郷公が今のような絵ろうそく技術を確立したのじゃ。
氏郷公は各地から職人を集めて町づくりに励み、現代にまで残る伝統工芸をいくつも育てておる。
後の領主たちはその事業を受け継ぐ形で会津の特産品として世に広めたわけじゃ。
会津松平藩祖である保科正之公も産業奨励に熱心だったんだよね。
正之公もまた信濃の高遠や出羽の山形など内陸の領地を治めてきた御方じゃから、その手腕を会津でも発揮なされたのじゃな。
保科氏になってから会津の絵ろうそくには「難を転じて福と成す」の意味が込められ縁起物となったのじゃ。
将軍さまがご病気のときにその願いを込めて南天と福寿草を描いた絵ろうそくを贈って、その心遣いが将軍さまから喜ばれたんだよね。
それで今も縁起物の贈り物として伝わってるの♪
その業を受け継ぐ職人によって八重が絵ろうそくになったのもこれまためでたい。
宇都宮の会場ではテレビの取材班にも注目されたからの。
これもすべてはご協力いただいた「会津鶴千代」さんのおかげです♪
この絵ろうそくは芯から蝋を塗っての形作りまでちゃーんと職人さんの手作りなんだよ!
ちなみに「鶴千代」とは蒲生氏郷公の幼名じゃな。
会津の鶴ヶ城は、この鶴千代と蒲生家の家紋である舞鶴に由来しとる。
なるほど~。
今回は勉強になることばっかりだね!